I dance with only one.


親父がミッドガルに店を出すと決めたその日の夜、母親は失踪した。
俺を生んだとは思えないようなプロポーションに若さだったから、恐らく男を作って失踪したっていうのが事実なんだろう。
そして、俺は親父と二人だけの生活になった。
別に寂しさもなく。
店をやっている手前、悪くなる事もなく、悶々と何をする訳でもなく、毎日が過ぎていった。
店がようやく軌道に乗って来たとき、親父は宝石の仕入れに行き、俺はミッドガルに移ってから初めて一人で留守番をする事になった。

「我抱歉」(申し訳ない)
何処か懐かしさを思い出す言葉に飛はリビングから玄関へ向かった。何度か店に宝石を卸しに来ていた業者が使っていた言葉で、飛も父親に会話をするには困らない程度に教わっていた。
「?个先生?」(どちら様ですか?)
「流華先生是不是在家?」(流華さんはご在宅ですか?)
「あー…宝石の仕入れに行ってて留守なんですけど……って、判らないか。……宝石的…」
男はそこで言葉を止めさせた。
「大丈夫。判りますよ」
思わず驚いてしまうほどの流暢さに飛は少しだけ安心した顔をした。
「貴方は……流華さんの御子息ですか?」
「えぇ」
冬ならば外で話をしているのは辛いだろうが、幸い、今は夏から秋にかけての季節の変わり目の御陰か、外で話をしていても全く寒くなかった。
飛の首筋がぞわぞわする。
第六感とでも言うのか、嫌な予感がするときは大抵ここがぞわぞわするのだ。
「そうですか…貴方が、飛=流華」
吟味でもするように頭の先からじろじろと見ていった男が満足そうな笑みを浮かべた。
「またお会いする事があると思います」
丁寧に頭を下げ、男は闇の中へ消えて行った。
男が帰ってからも首筋にはまだあのぞわっとした感触が残っていて飛は嫌な寒気に身震いした。
暫くして。
唐突に電話のベルが鳴り響いた。
それは、父親の事故死の報せ。
何故か淡々と飛は言葉を紡ぎ、そして慌しく、葬儀は終わっていった…。
アッシュが店に来、飛に労いの言葉をかけ、簡単なご飯を作り、掃除をし、帰っていく毎日。
そんな中、あの男が顔を出した。
それも一人ではなく、集団で。
「この度はとんだことで」
「………アンタ、あの時の」
床に座ったまま、飛は呟く。
「何?借金取りか何か?もしそうならそこらにある宝石、売って金にしていいからさ、持って行ってくれよ」
「いえいえ。私達はお父様から貴方を譲り受けた者でして」
さらっと男は言うがよくよく聞けば凄い事を言っている。
「あ?」
「私達、本業はマフィアなのですが…。この店に品質のいい宝石を卸していましてね。まあ、その宝石の代金を値引く代わりに貴方を貰い受けたというか、譲り受けたといいますか」
あっはっはっは、と男は笑う。
ぎっと鋭い目つきで睨むと飛は玄関を指差した。
「帰れ。犬や猫の子じゃないんだ、俺様は!!いくら実の父親がそんな事言ったって関係ない!俺様には俺様の人権がある!!!
お前達が卸したっていうのなら、ここにある宝石、一切合財全部くれてやるからさっさと失せろ!」
「そうはいきません」
言うが早いか、男の後ろからナイフが飛んでくる。
微動だにせずに飛はナイフを受け流し、尚も男を睨み続ける。
「俺はマフィアには入らない」
一句一句、区切るように飛は言う。
父親を失った悲しみよりもこの男の物言いに腹が立っていた。犬の子や猫の子を貰い受けるように、父親は自分をこいつらにくれてやるといった悲しみよりも、それ以上に包む、怒りに。
「飛=流華」
「あ?」
「……貴方の母親は、貴方を息子と見ていなかった事を知っていますか?」
母親の二文字にぴくり、と柳眉が動き、眉間に皺がよる。
「俺様の母親が俺様の母親じゃなかったとしても、別に俺様は驚かん」
「貴方の実母は…」
しゅ、とナイフが空を切る。
壁にナイフが突き刺さり、男は言葉を止めた。
「…それ以上、ごちゃごちゃ言うな」
ゆらり、と飛は立ち上がる。
手にはさっき投げられたばかりのナイフ。
「…お前らが」
右手にナイフを掴み、飛はゆっくりとナイフを構えた。
誰に習ったわけではなく、総てが我流。
「お前らがマフィアだろうが、何だろうが俺様には関係ない!俺様、マフィアだ何だとそういうのは大ッ嫌いだ!」
床に座り込んでいた時の瞳とは全く違う瞳の耀きに男は背中をぞくぞくさせた。
この少年は明らかに自分達のリーダーになるべき資質を持っている…!
長年の勘がそう言わしめる。
ぞくぞくする感覚をぐっと抑えて、男は飛のまん前に立つ。
「私を刺してみろといわれたら、どう思いますか?」
右手に持ったままのナイフを自分の心臓の上に切っ先を重ねる。
僅かに力を込めれば、たやすくナイフは皮を切り、肉を破り、心臓へ到達するだろう。
この質問に対し、男が望んでいる答えはただ一つだった。
今まで何人もの人間にこの質問を投げてきた。そのたびに失望し、男は相手を殺してきた。
「私は抵抗いたしません。……さあ、このナイフで私を刺してみてください。…そう言われたらどうしますか?」
何人もの人間が、この質問に対し、腰を抜かして逃げ出そうとした。
数人の人間が、この質問に対し、震えながら刺そうとした。
「……あんた、死にたいわけ?」
ナイフを握っている右手に重ねていたはずの手が何時の間にか外されていた。
「心臓刺して、死ねると思ってるわけ?確実に死にたいなら、ここ、狙わなきゃあ」
ひゅ、っとナイフが上にあった。
否。
飛の右手が男の首の左側にある頚動脈を狙って振り翳されていた。
刹那。
飛の右手は頚動脈を切り裂く前に止められた。一人の華奢な少年が飛の右手首を掴んでいる。
「…我らがボス」
このぞくぞくした感覚はやはり本物だった、と。
男はそう確信して、ゆっくりと片膝をつき、仰々しく頭を下げた。後ろに控えていた他の人間達も同じように頭を下げる。
「…やはり貴方は本物だった…!」
震える声で男は言う。
右手を拳にし、左掌で包むようにし、胸の前であわせたポーズのまま、男は呟く。
「飛様、貴方が今日から私達のボスです」
「…ちょっと待ってくれよ。俺様は…!」
「私達には導いてくれる人間が必要です。統率がとれなくなる。貴方以外にも何人かの候補が居ましたが、全滅いたしました」
「…殺したのか」
低い声音で飛は言う。
さっきの少年がナイフを取り上げ、まだ頭を下げている男に手渡す。
「……俺様がボスだといったな」
「はい」
「俺様、殺しも麻薬も大ッ嫌い何だがな!」
「我らがボスがそう決めたのならば、我々はそれに従うまで」
「……店はどうする」
「我らがボスが経営したいというのなら、我々は今までどおり、店に宝石を卸すまで…」
「……俺様、この生活は非常に気に入ってる……。この生活を壊さない程度にしか関われないと言っても、それでも俺様がボスか?」
「我らがボスが決めたことが、我々総てのルールでございます」
「…判った」
男の表情が一変する。
「飛様…!」
「どうせ俺様、まともな生き方は出来ないんだ。…なら、楽しむしかないだろ……」
にっと飛が笑った。

店を何とか経営出来る状態にまで復活させたのは、張と呼ばれたあの男だった。
後で知ったことだが、あそこで飛が断った場合、想像通り消される運命にあったらしい。
マフィアになった事をアッシュにはまだ知らせていなかった。というよりも、知られるのが怖かった。
たった一人の友達が。
どう変化するのかを知りたくなかったから。
店を閉め、アジトへ帰るという張を見送った飛は夕飯のために町へ繰り出す事になった。
「誰か捕まえて…!」
か弱い声のほうを見ると男が二人、小さなバッグを持ってバイクに乗る直前だった。
関わりたくないのが本音だが、ここで助けないのも自分のポリシーに反する。と飛はそこらに積んであった鉄パイプを数本取り、発進しようとしているバイクのタイヤの中に突き刺した。
「何しやがる!」
「邪魔を、ちょっとね」
倒れた男達の手から離れたバッグを取り上げると飛は持っていた鉄パイプを肩の上に乗せ、にぃっと笑う。
「やりあうかい?」
月明かりに照らされた妖艶な笑みに男の片割れが何かを思い出したように、殺気立っている男のわき腹を突き、何かを耳打ちする。
小さく「げっ」と呟いたと思うとこけたバイクもそのままに男達は闇の中へと消えうせた。
「有難うございます…!」
やっと追いついた、イブニングドレスを着ている少女にバッグを手渡す。
「………!?」
「私を御存知なんですか?」
きょと、とした表情では言う。
「…いえ、以前何かの雑誌で…拝見しまして」
ごくり、と喉が鳴る。
欲望からではなく、緊張から。
「後日、改めてお礼に伺いますわ。お家の住所を教えていただきたいのですが…」
「いや…そんな大それたことじゃないですから」
これ以上係わり合いになるのはヤバい、と心中で呟いて飛は手を振って足早に闇の中へ溶け込む。
足元に落ちた、飛の店の名刺。
「飛…流華……。じいやかメイドに聞いたら判るわね、きっと」
丁寧にバッグの中へしまうともまた足早に会場へと急いだ。
交わらないはずの線が交わろうとしていた。

FIN