A body screamed when I "wanted you to help" it.
月も出ていない、夜だった。
それは新月だったからであって、決して天気が悪かったからではないのだが。
ぼんやりと空を見上げて、何時になく生暖かい風に嫌な予感を感じながらも、飛は天藍に「お休み」と小さく告げて寝室へ入った。
同じ頃、鉄の要塞と名高い流華家を見上げていた一人の青年が居た。
名前はなく、ナンバーで呼ばれている青年。
『……無理だろ、絶対…』
無理でも何でもやらなくてはいけないのだ。
……流華家、当主の首をとらないと弟が……。
ただ、その想いだけしかないのだ。
隠しナイフを懐に忍ばせて、目当ての部屋の電気が消えるのをじっと待っていた。
どのくらい待っただろうか。ふっと電気が消えた。
何度も何度も下見をして、シミュレーションを重ねた。忍び込むことは簡単だった。ただ、忍び込んだが後、どうなるかは判らない。仮に失敗しても任務は遂行しようとしたんだ、という証拠を持って死ななければ弟は今以上に大変な目に遭うだろう。
「…よ、っと…」
人目につかない裏庭から壁のくぼみに足をかけて軽々と彼は登っていく。
目当ての部屋の隣の部屋の窓ガラスを音を立てないように切ると静かに中へと入り込んだ。
『…何だ、鉄の要塞って言う割にはセキュリティシステム、何もないんだな…』
一安心ではないが、そっと胸を撫で下ろして、彼はその部屋から出ようとドアに聞き耳を立てた。
誰も来ない。来る気配がない事を確認すると彼は廊下にそっと忍び出た。目当ての人間…飛=流華…のドアに手をかけると静かに開く。廊下の灯りはついてなく、真っ暗な部屋に忍び込むのは楽勝だった。
あまりのあっけなさに本来の彼なら気付くであろうことに、気付かなかった。
…余りにも簡単に事が運びすぎているのだ…。
ドアが完全に閉まってしまわないように僅かにだけ開けた状態で聞き耳を立てる。規則正しい寝息が聞こえ、彼は隠し持っていたナイフを静かに外へと取り出した。
足音を立てずにベッドへ近寄るとその存在を確認し、一気にナイフを振り下ろそうとした。
「悪戯が過ぎるようですね」
「…な!?」
肩口より少し長めに伸ばした綺麗な銀髪を一つに結わえた男がナイフを持っている腕をしっかりと掴んでいる。
「死にますか?それとも、懺悔を?」
「天藍、余り苛めるんじゃないよ」
かちり、と音がして頭上の電気が光を放つ。
ずっと暗い中に居た所為で、いきなりの光に目が眩む。
「お前を殺さなかったら…!!」
「若、どうなさいます?」
「マスク、外しちゃってくれる。中身で決めるからさ」
くつくつと笑いながら飛はベッドから出る。
床に突っ伏した状態で、反撃することすら出来ずに腕をしっかりと固められた青年は痛みと苦痛と、そしてこれから何が起こるのかという不安な表情をしていた。
マスクが床の上に、ぱさりと音を立てて落ちる。
「へぇ。若いんだね。で、誰に頼まれたのかな?」
にこりと笑っているが目は恐ろしく冷たい。
その瞳に恐怖を覚えながら、青年は口を噤んだ。
横を向いた青年の首筋を見て、飛はにんまりと笑う。
「その徽章、………ああ、あそこの古狸か……。ち、面倒だなぁ」
どかり、とソファに座ると飛は心底面倒そうな声を出した。
「遅かれ早かれ、俺様に刺客を向けてくるんじゃないかとは思ってたけどよー……。なぁ、名無しの権兵衛君。さっき、俺様を殺さなかったら…とか言ってたよな、あれ、どーいう意味?」
喋らないだろう。
飛は判っている。自分の命を狙ってきた人物が、そう簡単に話をする訳がないという事を。
少なくとも、流華家の。飛の部下にそんな人間は決していない。こうして掴まったら拷問される前に、と自決する。それをさせるだけの人間なのだ、飛は。
「ああ、無理に喋らなくてもいい。………こっちは君の、いや、君の雇い主の所為で睡眠を妨害されて非常にご立腹でね。……悪いが、今から奇襲させていただく」
「ま…待ってくれ!それだけは!」
「うん、いい声だねー。君がそこまで雇い主に対して忠誠心を抱いているとは思わなかった。でもね、それは出来ないよ」
「弟がいるんだ!!あんなファミリー、どうなっても構わない…!構わないけど、弟が…!!」
ぴくり、と柳眉が動く。
「弟?」
「ああ」
「君に似てる?」
「…は?」
「は?じゃなくて、深刻な問題だよ?3秒以内に答える!」
「に…似てると思うけど」
「若!!また何か企んで…!!」
天藍の声はもう飛には届かない。
「天藍、ナイフ取り上げて。そんでもって身体検査して」
飛の声は絶対命令。
渋々、といった調子で天藍は青年の手からナイフを取り上げ、ほかに武器を隠し持っていないかチェックした。
幸い持っていたのはナイフ一本で、すぐに彼は解放された。が、逃げることは出来ずに飛の次の言葉を待つ。
「ノラネコみてぇなツラしながら噛み付きそうな目が気に入ったぜ」
多分、不平不満一杯な顔をしていたのだろう。青年はあわてて顔を背けた。
「今日から俺様がお前の御主人様になってやる」
「……は?」
「若!何を考えて…」
「まぁ、落ち着けよ。天藍。今ここでこいつを殺しちゃうのは簡単だよ、確かにさ。でも」
一度飛はそこで言葉を区切る。
そしてにっこりと微笑みながら青年を見る。
「弟を助けてやろう。……ファミリーを裏切れるか?」
「え…?」
目をぱちくりとさせた。
「だから、お前の弟君も一緒に助けてやるっての。そんかし、お前は俺様の下で働けるか?」
「……それは、俺達を受け入れてくれるって事ですか」
「そう言ってるだろう。答えはYESかNOしかない。さあ、どうする」
青年はこの状況で必死に考えた。
そして答えに行き着く。
否、答えは一つしかないという事実に。
「貴方に忠誠を。裏切った場合には、死を以てして償いを」
「OK!契約成立だ!天藍、準備を頼む」
「御意」
天藍が音もなく部屋から出て行く。
足音が遠ざかり、青年は落ち着かない様子で床に座っていた。
「名前は?」
「ありません。俺も、弟も。……あのファミリーは幹部以外、全員孤児ですから。……名前なんて、昔に捨てました」
与えられたのは、bO068という名前だけ。
昔、何て名前だったのか。それさえも思い出せない。
「じゃあ、弟君も?」
「……ハイ……」
「君に似てるって言ったね。……気を悪くさせるつもりはないんだが、一つ聞きたい。
弟君、あの古狸の性奴にされてたりする?」
カァッと顔が真っ赤になる。
「はー……まーだ、そんな事してんのかよ…あんの古狸……」
がりがりと頭を掻く。
相手のファミリーと流華家は決して因縁がある訳でも、顔見知りな訳でもない。ただ、一つあるとしたら、それは。
最近勢力を伸ばしている流華家に対してこれ見よがしに嫌悪感を表し、嫌がらせをしようとしているという事くらいだ。
「遅かれ早かれ、あのファミリーは潰すつもりだったんだ。こちらとしては君みたいな子が手に入ってラッキーだけどね。
ああ、そうだ。名前をつけてあげなきゃねー。勇将の下に弱卒なし……俺はあの古狸みたいにファミリーを使い捨ての手駒みたいには考えられないんだよ。……張には甘いって笑われるけど」
さらさらと紙にペンを走らせる。
「芙蓉。弟君は茉莉でどうかな」
「ありがと…うございます…」
小さな声で。
囁くように言われた言葉は涙でかすれていた。
「若、この時間ですし、こんなものしか用意できませんでしたが」
袋に入った豚の臓物に芙蓉は一、二歩後ずさる。
「新鮮?」
「夕飯に出たものですから」
「ん。
じゃあ、芙蓉。この心臓を持って帰るんだ。そして、古狸に投げつけて、こう言ってやれ」
耳元で静かに囁く。
「な…!?」
「大丈夫。あの古狸は、絶対にこういう。ご苦労さん、まさかお前が殺れるとは思わなかった。何でもいいから褒美をとらそう、ってな!」
飛が着替えながらくつくつと笑う。
「自分と弟を解放してください。って言うんだ。それが合図。……後は、俺様に任せろ」
「はい…」
ずっしりと重たい、真紅の房がついた鉄扇を手に取る。
「さあ、行こうか」
「ただいま戻りました」
「0068か。首尾はどうだった」
アルコールの臭いが広間に充満している。
その臭いと、また、別の生理的嫌悪のする臭いに、飛に逢うまでは気付かなかった吐き気を覚えながら、芙蓉はさっき飛に言われたとおり、布に包まれたものを男の足元に投げつけた。
べちゃり、と嫌な音を立てて布は段々赤味を帯びてくる。
「……討ち取ったからこそ、ここに帰ってきたんです。最も顔は激しく抵抗された所為で滅茶苦茶にしちゃいましたし、何より重たくて目立ちますからね……それしか持って帰ってこれませんでした」
芙蓉が中へ入ると同時に飛は広間の屋根裏まで音を立てずに進んだ。掃除もされていない屋根裏で蜘蛛の巣と戦いながら、板の一枚を外す。
ちらりと血で染まっている布を見て男は機嫌のよさそうな顔をした。
「ほほぉ。まさかお前がな……よしよし、褒美をくれてやろう。何がいい」
「何でもよいのですか」
「おぉ、何でも良いぞ」
ごくり、と喉を鳴らす。
「自分と弟を解放して頂きたい!もうこんな生活は嫌だ!」
「な…!!」
何を言っているんだ、貴様!!と男の憤慨した声が聞こえ、芙蓉の目に拳銃が映る。
もどかしそうに引き金を引き、芙蓉が目を閉じる。
焼け付くような痛みと、肉の焦げる臭いを想像して。
が。
「上等、上等!」
飛がにこやかに芙蓉の前に立っている。
見れば飛の足元には先端のひしゃげた弾丸が落ちていた。
弾丸を鉄扇で受け止めたらしい。
「な、俺様の言った通りになったろ?」
鉄扇を口許に持っていって、楽しそうに飛は笑う。
「流華家!?」
「俺様にこんな可愛い子をどうも有難うな、古狸」
背中に庇うように芙蓉を隠していた飛が、ぽんと身体を押す。
「そこのドア開けたところに綺麗なお姉さん二人居るから、そいつらと一緒に弟君、助け出してやれ。外には天藍がいる。腕のいい医者もそろそろ到着する頃だ。……行け!!」
「は、はい!」
流と翠の姿を確認すると飛は静かに瞳を閉じる。
「あの子じゃ、俺様は殺せない。判ってて差し向けたんだろう?」
かっかっ、と足音を立てながら飛は一歩一歩男に近づく。
「来るな」
「平和的和解のために来たんじゃないんだわ、俺様。アンタを潰しに来たわけ」
ぽん、と鉄扇を肩の上に置く。
震える手で拳銃を持ち上げたのを切欠に飛が走り出す。
「遅い!」
鉄扇を閉じたまま、男の右手首の上から振り下ろすと嫌な音が響いた。それに伴うように、男の叫び声も。
「何でここまですんなり入れたんだと思う?俺様だけじゃない。張も流も翠も」
言いながら、床をのたうつ男の肩に足を置く。
「あんた、部下に慕われなさすぎなんだよ」
ごき、と肩の外れる音が響く。
痛みで声も出ないのだろう。
脂汗をかいた男が命乞いをするような目で飛を見る。
「イイね、その顔。ぞくぞくする。……あんたが、もっと若くてイイ男で…ユキみたいなのだったら、夜の相手何回かで許しちゃったかも知れないぜ」
でもさ、と言葉を途中で終わらせると壁にかけてあった青龍刀を手にした。
「ユキはあんたと同じ立場になっても命乞いは絶対にしないだろうし、俺様、ユキにだけは手を出せないから……一生叶わないかなー」
多分、ファミリーを潰す結果になったとしても、自分はあの男だけは殺せないだろう。
「おしゃべりが過ぎたね。痛いだろう?…楽にしてあげよう」
冷酷な瞳を男に向けて、飛は一気に青龍刀を振り下ろした。
「飛、ふざけんな。お前、こんな夜中に!」
「悪いね、ユキ。悪いなーとは思ったんだけど、医者が思い浮かばなくてね?」
ぐっと飛の、漆黒に足元に模様の入った長袍を掴むとその血生臭さにしかめっ面をする。
「殺したのか」
「それは…ノーコメント。でも、ユキは俺様の仕事に立ち入るような人だったかな?」
そう、これは仕事何だ。
言葉を捜していたヒロユキの目にいきなり紅蓮の炎が目に入る。
真後ろで屋敷が燃えている。
「さあ、逃げようか。ユキ。間もなく警察が来るよ。共犯者になりたいなら別だよ。俺様も付き合うけど」
「冗談じゃない!」
天藍から車の鍵を受け取ると有無を言わせずにヒロユキを助手席へと放り込む。
「あ、なあ。ユキ。茉莉はやっぱり入院必要?」
「当たり前だ!あんなひどい…」
「ユキなら任せても大丈夫だから安心。
芙蓉、茉莉はちゃんと帰ってくるよ。だから、…もう安心して眠っていいんだ」
ぽん、と背中を叩く。
「天藍、後は任せた。俺様、ユキを送ってから帰るから」
「御意」
「流も翠も、張もこんな時間なのにお疲れ様」
それだけ言って飛は運転席に乗り込んで車を走らせる。
数時間後帰ってきた飛の左頬はぷっくりと腫れていた。
To Be Continued