自己犠牲の愛情値


中庭から聞こえた呻くような声には足を止めた。
ただ、渡り廊下を通るよりも近いという理由が今になっては激しく後悔するものになった。

(……最悪、かも知れない)

黒髪に学ラン、そして風紀の腕章をつけてトンファの血を振り払っているのはれっきとした風紀委員長、そのものだった。
見つからないように校舎の陰に隠れてやり過ごそうとする。
それでも、思わず見てしまうのは人間の好奇心故だろうか。

「…この程度で風紀に盾突こうっていうの?」

低くも高くもない声の後に、ゴッという音がした。数秒後に呻くような声。

「どうせ盾突くならかすり傷の一つでも負わせるくらい、強くないと困るんだけど。
……折角、風紀委員長の僕自ら相手してるんだからさ」

物凄い表現だ、とは思う。
ちらりと見ると雲雀の足元には数人の男子生徒が倒れていた。
生きてるのかな?噂だと風紀委員会は殺しをなかったことにしてくれるとか…(ツナ君が言ってた)
でも流石にあれだけの人数がいなくなったらばれちゃうよね…。
段々思考が違う方へ行っていることに気付いて慌てては頭を振った。
呻く声が聞こえなくなって、居た堪れない気分になった。

「そっ…それ以上やったら、死んじゃいますよ…!!」

そう思ったときには校舎の陰から飛び出していた。
雲雀じゃない風紀委員の睨む目が恐ろしく感じた。
喉がからからになって次の言葉が出てこない。

「君は何?こいつらの仲間?」

靴先で一番近い男子生徒の顎を持ち上げる。

「…全然見た事ないですけど…」

これは事実だ。
多分、彼らはよりも上の学年だろう。
の声は風でかき消されていく。
いきなり、ひゅっと音がした。

「だったら、黙っててくれない?」

つん、と鼻の奥に感じる鉄錆の臭いは雲雀の持っているトンファからだった。
見れば肩先にトンファの先がある。
軽く振り上げて落とされれば、の鎖骨くらい簡単に破壊できるのであろう、その銀色に耀くトンファを凝視できずには雲雀から視線を外した。
ゆっくりと。
雲雀がトンファを振りかぶった姿がスローモーションにの目には映る。
女子供は殴るような人じゃないと思っていたのに。
心の中で呟いて、恐怖心から目をぎゅっと瞑り、スカートの端を握り締めた、次に来るのであろう痛みにぐっと耐えるように。
だが。
倒れたのはではなく、さっきまで足元に転がっていた男子生徒の一人だった。
立ち上がって、背中から雲雀を襲おうとしていた生徒が地べたにはいつくばっていた。

「ちゃんと見てろって言っただろう。……土に還されたいのか?」

自分ではなかったことに対する安堵に、恐る恐る目を開ける。
さっきとは全く何も変わっていないその状況に、は激しく後悔していた。
顎だけで「行け」と風紀委員に命令すると、風紀委員は倒れている男子生徒を軽々と担いだり、引っ張ったりして中庭から消えた。
と雲雀だけしかいなくなった中庭に一瞬の静寂。
だが、それは夜の帳のようには長く続かず、雲雀の声によって壊された。

「……で、君は何なの?見たとこ、一年生みたいだけど」

仕込みトンファをしまって、雲雀は嫌々そうに言葉を紡ぐ。
学ランの裾が風に舞う。
ばさばさとまるで羽ばたく前の鳥のように。
雲雀の顔が不機嫌そのものになっていく。
恐怖よりも、何よりも、この場を逃げ出したい雰囲気には泣きそうになっていた。

「早く答えてくれる?」
、1−A在籍です」

泣き出しそうな声で一生懸命は言葉を紡ぐ。
この中庭を通らなければよかった。
再びは後悔する。
名前を聞いて口角を上げて笑った雲雀の表情には気付かない。

「憶えておくよ」
「…忘れてください」

今日初めて示した、拒絶の言葉に雲雀は楽しそうに口端だけで笑う。

「君はまた邪魔するんだろうね」
「え?」
「……まあいい。今日のところは許してあげるよ。早く行けば」

意味がわからない、という表情をしては足早に中庭を通り過ぎた。
一度だけ振り返って中庭を見れば、そこにはまだ佇んでいる雲雀の姿があった。
目があい、は慌てて雲雀に頭を下げる。


何時か、君自身を壊して僕は君を手に入れる。


FIN


鳥葬様へ捧げました。