A wedding anniversary
「ねえ、レノ。今日、何の日か覚えてる?」
黒いスーツに身を包んだレノには声を掛ける。
結婚記念日くらいは休みをとってくれてるものだと思っていただけに、仕事へ行く準備をしているレノを見るのは心苦しかった。
既に出られるだけの準備をしていたレノが玄関で靴を履き、んー?と首を傾げた。
一生懸命、頭の中で今日は何の日?と聞いたの言葉を思い出しているらしかった。
「…誕生日じゃないし……」
ぶつぶつと独り言のように言っているレノの足元に、結婚を機に飼った白猫のクゥがごろごろと喉を鳴らしながら近づいた。
みゃあ、と可愛い声で鳴き、レノのスーツのズボンに爪を立てる。
「あ、判った」
クゥはレノがプレゼントしてくれた白猫。
結婚して家に居て欲しいから、という理由でレノがにプレゼントした。元来、猫好きのが長時間、クゥを一人にして家を空けられないように、という配慮の元で。
「クゥの誕生日かな?、と」
レノの手からクゥを奪い取るとはレノを追い出した。
「イッテラッシャイ!」
バタァンッ!と激しい音を立ててレノの眼前でドアが勢いよく閉じた。
バシィッ!とクッションを壁に投げつけ、は苛々した気分をぶつけていく。
クゥは、といえば与えられたミルクを一生懸命飲んでいる。
結婚しよう、とレノが言ってくれたのが去年の今日。結婚式は挙げなかったけど、レノの仕事仲間の人がお祝いしてくれた。
ささやかだけど、新婚旅行にも行った。
「…結局、レノにとって結婚っていうのは……単に家政婦の代わりなのかしらね…」
だからきっと憶えてないんだろう。
それとも、単に結婚記念日なんて祝うに事足りないと思っているだけ………?
結婚する前の方が色々褒めてくれてた気がするな……。
ご飯だって、今じゃとりあえず胃袋に入れてます、っていう食べ方だけど、結婚前は色々聞いてくれたし、色々褒めてくれたし。
たった一年間。
たった一年間、一緒に暮らしただけで、こうも変わってしまうもの………?
折角予約していた美容院の予約をキャンセルし、はぼぅっとソファに膝を抱えて座った。
一ヶ月も前から、結婚記念日にはどんな料理を作ろう。とか、レノは甘いもの苦手だからデザートは甘くないものにしよう、とか考えていた日々が一気に色あせていく。
「…結婚なんて、しちゃいけなかったのかな……」
恋人のままの方が、よかったのかもしれない。
もしかしたら、結婚記念日は忘れてるんでもなく、憶えていないわけでもないのかも知れない。
私以上に一緒に居たい人が出来て、その人とこういう記念日を作りたいんじゃ……。
結婚前は無理矢理でも時間を作ってくれたのに、結婚したら全然時間作ってくれなくなっちゃったし。
夜中に帰ってくるの何て日常茶飯事になったし、何より、結婚前は毎日でもしたがってたことを結婚してからは数える程度しかしてない。
不安は一度不安として波紋を作ると、どんどん、どんどん、白い紙に拡がる黒インクのようにシミがでかくなっていく。
ベッドルームのキングサイズのベッドの脇にある、サイドボードの上には、ウェディングドレスに身を包んだとタキシードに身を包んだレノの写真が飾ってあった。
「……レノの…馬鹿」
大き目の鞄に大して多くない、自分のものを詰め込み、クゥを抱き上げ、キャリーケースに入れるとはリビングのテーブルの上にメモ書きを残す。
一緒に居たくないの、とだけ書いて家を出る。
クゥを置いていこうか迷った。でも、子猫に罪はなくて。
車の助手席にキャリーケースを置くとは車を走らせた。
PM9:30
「何をしているんだ、レノ」
書類の束に埋れるように報告書類を書いているレノに気付き、ツォンは声をかけた。
レノ以外のタークスメンバーは全員任務先から直帰するという電話があったばかりだった。
「何って…報告書書いてるんですけど、と」
ツォンの方へは目も向けずにレノは言葉を放つ。
がりがりとペンの音が響く。
「……さんはどうしてるんだ?」
「家に居るんじゃないんですか、と。クゥも家に居るし」
んー、と呟いて左隣においてある書類の一枚を手に取り、ざっと目を通して再び報告書へ取り掛かる。
「お前、新婚じゃなったか?」
「そうですよー。新婚ですよー。結婚してから物凄く仕事が忙しくて中々家に帰れないし、帰ってもとエッチする事も出来ないくらい忙しいけど、新婚ですよ、と」
結婚する前は任務終了した直後、そのままとデートしていた。
時間がないなんて逢えない理由にはならない。恋人同士の定義がいまいち違う二人が一緒に居るには、レノが必死に時間を作るしかなかった。
だから、だからこそ。
結婚して欲しかった。
独占したい。いつでも自分のモノで居て欲しい。
恋人同士の時は身体さえ繋げていれば取りあえず恋人同士として繋がっていられるような気がして。
結婚して好きなだけ、求められると思っていた矢先にいきなりタークスは忙しくなった。
それこそ、家に帰って用意されているご飯を味わうことなく胃袋に詰め、シャワーを浴びて再び任務先へ行くという日もしばしばで。
それをは愚痴一つ言わずに見送ってくれた。
「……今日は何の日だかわかっているんだろう?」
「も朝行ってたんですけどね、と。まるっきり思い出せないんですよ、と」
「結婚記念日という五文字を知っているか」
ツォンの声音は優しいが目は笑っていない。
「その書類に埋れているデスクの上に飾ってある、その写真の日付を見てみろ」
そこには家にも一枚焼き増しして飾ってある、の綺麗なウェディングドレス姿の写真があった。
一人だけで映した、レノのお気に入りの写真の右下にはちょうど一年前の今日の日付が入っている。
「あ゛あ゛あ゛あ゛!?」
書き途中の書類を放り出してレノは大慌てでバイクのキーを持って外へ出た。
ツォンの声が後ろで響くが判らない。
家への道をバイクで走っていく。
家には一つの灯りもついてなく、そっと中へ入ってみたが人の居る気配はなかった。勿論、クゥの姿もない。
リビングの灯りをつけるとテーブルの上には走り書きされたメモが一枚乗っていた。そこには、一緒に居たくないの。と綺麗な文字で書かれたメモ。
「っくそ!」
仕事にかこつけて忘れていたのは事実。
それに愛想をつかして出ていったのも、それは仕方ない事なのかも知れない。
レノはリビングの灯りもそのままに家を飛び出した。
本能、というより野生の勘といった方が正しい直感でバイクを走らせる。
コスタ・デル・ソルの方へどのくらい走っただろうか。不意に耳に波の音が響き、レノはバイクを降り、砂浜へ向かう。
有名な観光スポットのここには夏になると多くのカップルが甘い、ロマンティックなムードに酔おうと頑張っている姿が見受けられるが、夏も終わろうとしているこの時期には誰も居なかった。
そこに、見覚えのある一台の車が停まっている。
ワゴンタイプのその車のトランク部分に座り、白猫を膝の上に乗せ、何か歌を口ずさんでいる愛しい人。
「」
レノの声にびくりと肩を震わせ、まるで幽霊でも見たような目でレノを見る。
にゃあ、とクゥの小さな鳴声が漣の音と混じって余計に小さく聞こえる。
「…レノ」
「何してるんだ、と」
「こっちの台詞よ、それは……。何をしているの?仕事、忙しいんじゃないの?」
ざくっざくっと砂を踏み締めながらレノはゆっくりとの方へ近づいていく。
「……結婚記念日、忘れて悪かったぞ、と」
その言葉に小さく「ああ」と呟いたは座ったまま、空を仰ぐ。
「もういいの。私、もう判っちゃったから」
ふらふらと足を動かすとは泣き出しそうな瞳でレノを見つめる。
「私、貴方の特別になれなかったのかな?
結婚する前の方が、レノ、私を見てくれてた。私、我儘は言わないようにしようって思ってたけど、もう、限界だよ」
にっこりと。
泣き出しそうな表情なのに口元だけはレノがいつだって護りたいと思わせる微笑を浮かべる。
付き合っているときから、タークスがどんな職場でどんな危ない事をしているか、教えられていた。
だけど、それでも、もう限界。
「言わなきゃわかんねぇだろ、と」
だんっ、とを挟むように、下から見上げるように、ワゴンの縁に手をついてレノはぽつりと呟く。
ふわりと香るのは、レノの汗の匂い。
「言ったって、わかんないよ!」
「俺は男で、は女だから!いったって判り合えないのは当然なんだよ、と!」
「じゃあ、一緒に居てって言ったら居てくれた!?」
ぼろぼろと涙が溢れ出す。
「当たり前だろ、と」
指の腹でレノがの涙を拭う。
間髪入れずに返された言葉にが不思議な顔をして、大きな瞳でレノを見つめ返した。
誰よりも、貴方が大切で。
誰よりも、貴方を愛しいと思う。
「…一緒に居てくれて、有難う」
そう言って、微かにレノはのピンク色の唇にキスを落とした。
FIN