09.Do not worry


「宝条は研究室に居るかしら?」
「…さあ?居るんじゃないか、と」
眼前に広がる神羅ビルは【私】が辞めた時となんら変わりはなく、聳え立っている。
総てが、懐かしい。
慣れた手つきでエレベーターへ向かい、宝条の研究室のある階のボタンを押す。
「何故レノ君が一緒に居るのかしら?」
「……別に。俺が居たら迷惑なのかな、と」
「迷惑何かじゃにけど、貴方がどうなっても私、責任もたないわよ」
エレベーターの扉が開く。
そこには瑠璃が来るのをまるで予測していたかのように宝条が立っていた。
「久し振りね、宝条」
「誰だったかね。見たところ、タークスの新人のようだが」
「ご挨拶ね。昔は一緒に研究していた仲じゃないの」
くすくすと瑠璃は笑う。
「…瑠璃か」
「ご名答よ、宝条」
猫背気味の背中をもっと丸めて宝条は瑠璃をじろじろと見る。
「余り見ないでくれる?……むかつくのよ」
吐き捨てるように瑠璃は言い放つ。
「それはそれは…失礼。今日は何の用事かね、瑠璃」
くるりと背中を向けると宝条は研究の続きに入った。
瑠璃は口端だけで笑う。
「約束を果たしに来たのよ。…それとも、もう私の娘を使った実験はもう興味ないのかしら?」
「実の娘なのにいいのか」
「アンタが血の繋がりを何かを大事にするの?これは意外だったわ」
宝条が瑠璃に手を伸ばした、刹那。
「…バーカ」
宝条の身体が、吹っ飛んだ。
実験器具を置いてある棚にぶつかり、ようやく停止した宝条の目の前に居るのは、瑠璃。
「レノ君。貴方、強いけど冷静じゃないトコがあるよ」
「…あ?」
「宝条が本当に胎児にクローンを植え付ける事ができると思ったの?……そんな、危険な賭けで私が、喜んでこの神羅を出て行ったと思う?」
もしかしたら、
自分の子供は
ちゃんとして生まれないかも知れないのに。
「あのね、レノ君」
ガゥン!!
瑠璃の持っていた短銃から弾が放たれる。
「……ツォン君とヴェルド君に連絡して早くこのビルから離れなさい」
「アンタ、何言ってるんだよ、と」
「レノ君。の部屋の隣に、が寝ているから」
ごめんね。
あの時、家へ来たとこっそり入れ替わって。
レノ君。君と一緒に戦えて楽しかった。
つかの間だけど、楽しかった。
「ふざけるな」
「ふざけてなんか!」
瑠璃の口調が荒くなる。
「私がこいつに頼んだのは……私の遺伝子操作だけよ。魔晄に晒されて、年齢が若返っていくのを阻止したかっただけ!」
それの御陰で若返っていくのは止められたけど。
…でも!
「今のと同じくらいの外見で成長が止まった私は、どうしたらいいの?」
もう、に逢えない。
幼い頃に見捨てて夫も娘も捨てた私を、
あの子は許さないだろう。
「判る!?私はもう、の妻としても!の母親としても失格なのよ!」
「判らねぇよ!何だよ、失格って!誰が決めたんだよ!」
短銃を握る手が微かに震える。
「瑠璃!」
「ツォン君」
「警報システムが異常を感知したから…来てみたら…」
「所詮、あと数年の命よ、瑠璃」
ひひ、と卑しい宝条の笑いとともに聞こえる言葉。
「だから?あのまま私が魔晄に晒されてたら、今頃私は死んでたわよ」
「わしを殺すか」
「ツォン君。早くここから逃げなさい。このイカレたマッドサイエンティストと一緒にこんな研究室、破壊してやるから」
茶色い液体の入ったビンを宝条の傍で割る。
オイルの臭いが一瞬にして充満し、瑠璃は胸ポケットからライターを取り出した。
「瑠璃サン!」
「宝条博士を殺したところで瑠璃の罪は許される訳じゃないだろう!」
罪。
「…もう、手遅れよ…ツォン君」
瑠璃の手からライターが落とされる。
ツォンも、
レノも。
地獄と化すであろう、その業火が放たれる瞬間を見たくなくて目を瞑った。
ガゥンッ!
「…な」
「ツォンさんの言う通りだわ。何故生きようとしないの」
ライターは中央部を吹き飛ばされ、火が消えていた。オイルを撒き散らしながら床へと落ちる。
瑠璃は栗色の髪の毛を三つ編みに。
そして今ライターを撃ち落した、はポニーテールに。
「何故、生きようと足掻かないの。
何故、残りの命総てを費やしてでも私に許しを請おうとしないの」
カッカッ、と足音をたてながらは瑠璃に近づく。
「…お母様」
宝条の姿はもうそこにはなかった。
裏口からこっそり連れ出されていたが、そんな事はにとってはどうでもよかった。
「お母様なんでしょう?」
穏やかな視線に。
穏やかな笑み。
「許してもらえない罪がこの世にあると思っているの?」
自分と同じくらいの年齢の瑠璃を見ても驚くような表情は一瞬も見せず、は淡々と言葉を紡ぐ。
そこに居るのは。
幼い自分を抱っこして微笑んでいる、写真と同じ母親の姿。
「どんな姿だってお母様はお母様だもの。何故私がお母様を見て驚かなくてはいけないの?娘がお母様に逢いたいって。お母様が私に会いたいって思うのはそんなに罪な事?」
姿が止まってしまったのは、貴方の所為じゃないじゃない。
貴方は。
「…私とお父様を護ってくれたのでしょう……?ならば、それは……胸を張るべきではなくて?」
それ以上、それ以上近づかないで。
「……後数年の命なら尚更、一緒に居させてよ…!!」
それは
の全身全霊を賭けた想い。

To Be Continued