Your voice to lead an answer
ぴちょんぴちょんと部屋の隅で雨漏りしている音でレノは目を醒ました。身体が異様にダルイのは気のせいじゃなく、天井からまるで十字架のように吊るされた自分の両腕はもう感覚を殆ど失っていた。にぎにぎと何度かグーパーを繰り返して、まだ神経と筋肉は繋がっている事を確認する。着ていた服などとっくの昔にびりびりになって服の役割を果たしていない。辛うじてズボンだけは穿いていた。
(…何でこんなことになったんだったかな、と)
起きているのが判ると面倒なのでレノは痛む身体を休ませるべく、両目を閉じた。
簡単な潜入捜査のはずだった。もう内部から分裂しかかっている反神羅組織の末端を木っ端微塵にさせ、首謀者を引き連れて戻ってくる事。本来ならがいくところだったが、女の子の顔に疵がついたら可哀想デショ、とレノが変わった。
可愛い顔を少し膨らませて怒った姿も可愛かった、などと思い出せる辺りまだ余裕だろう。
レノの粘り勝ちとでも言おうか、結局潜入捜査はではなくレノが行く事になった。
結果的にそっちの方が良かったわけだが。潜伏始めて三日目でボロが出た訳でもないのに、何故か相手の頭はレノを神羅の社員だと見抜いた。
此処での潜伏期間は一週間。それが過ぎても帰ってこなければ誰かが心配して見に来てくれるはずだ。…例えば、ルードとか。仕事用に持たされていた携帯電話は常にレノの居場所を常に電波に乗せて送り届けている。最も、壊されていなければ、だが。
確か、今日で一週間になる。
(…よくもまあ四日間もこんな状態で頑張ったな、俺、と)
人間飲まず喰わずで生きていけるのが一週間というし、これが限度だとレノは気付く。
「お目覚めは如何?坊や」
不意に檻の扉が開き、スレンダーな女性が現れる。後ろには何日も毎日顔をあわせている男が数人。
「こんな手枷足枷がなければ朝から美人の顔を拝めて最高な気分何だけどな、と」
「この状態でこんなに長く生き長らえて、それだけの口をきける坊やも珍しいわ。殺してしまおうと想ったんだけど…気が変わりそうよ」
長く整えた爪でレノの頬を撫でる。
つけすぎか、はたまたレノとは趣味が単にあわないだけか、香水の匂いがやたらに鼻につく。
「さっき、貴方の携帯から貴方の上司に取引を持ち出したわ」
「俺は愛されてないからそんな取引、絶対に成立しないぞ、と。口では判った、って言ってもな、と」
「そうなったら貴方の首から上を送りつけてあげてよ」
高笑いしながら女が踵を返す。
神羅カンパニー総務部調査課
と書かれたネームプレートの下にあるのは分厚い扉。
その中ではツォンを始め、ルード、、イリーナの面々が一枚の地図を囲んで心痛な面持ちをしていた。
「これから先の神羅の情報と引き換えにレノを返すですって…?」
「どう思う?」
「安過ぎよ」
の答えにツォンが絶句する。
「取引場所にはルードを行かせる。…。判ってるな?」
「了解。裏から行って壊滅、無事にレノを救い出してみせます」
手榴弾に小型拳銃、ナイフ、それにショットガンにスタンガンまで鞄に押し込み、は地図を広げてルートを頭の中へ叩き込む。
「よし…じゃあ、ツォンさん、私行きますね」
壁にかけてある車のキーを握り締め、は仰々しい扉から出て行った。
普段レノが運転している車に乗り込み、シートベルトもせずに駐車場を飛び出す。
シートに身を沈めていると微かにレノの香りがした。
さっき頭に叩き込んだルートどおりに車を走らせ、アジトから程近い場所に車を停める。トランクルームに入っていたビニールシートで車を覆い、神羅と書かれたシールをぺたりと貼る。これで車を持っていかれる心配はない。
アジトは無認可のカジノの地下にある。
取り合えずカジノへ入るしかない。レノが潜入する前にカジノの周囲を調べたがあり一匹入り込む隙間がないのは調査済みだった。
誰も居ない事を確認し、持参した黒いドレスに着替える。背中の部分が大きく腰のあたりまでカットされ、胸の方も大胆にカットされている。このドレスは以前レノが見立ててくれたものだった。それにネックレスをつけ、武器の詰まった鞄の上に札束とある目的のためにが自ら作った宝石を乗せ、武器を隠す。
この札束と宝石は女性がごつい鞄を持っているのは遊ぶためという女性らしくない鞄をカムフラージュするためでもある。
両耳につけたイヤリングの片方から微かに電子音がする。レノの携帯から発せられる発信機の電波が半径1キロ内に入った時だけ反応する特殊なもので、使う機会はないと思っていたものだ。
「初めてなんだけど、いいかしら?」
カジノの入り口に立っていた男には迷わず声をかける。
「金がありゃあいいんじゃねぇか?」
「そう、ありがと」
ヒールの音を奏でながらは奥へと進んだ。
ルーレットにバカラ、ブラックジャック……ありとあらゆる賭け事がそこにはあった。喧騒と肌を焦がすような照明にくらくらする。
熱中している男達の間をすり抜け、時々興味ありそうに覗き込みながらテーブルの裏に持ってきた宝石を一つずつ取り付けていく。
「一戦如何ですか?」
宝石を取り付け、は椅子へ座る。ディーラーが差し出したのはトランプだった。
「望むところよ。ただし、ポーカーならね」
「畏まりました」
ねめつけるようにディーラーはの姿を見ている。
「私の身体に興味があるのかしら?」
「私が勝ったら金よりもお客様の身体をいただきたいくらいですよ」
「そうね…よくってよ。ただし、私が勝ったら教えて欲しいわ。……このカジノの地下への入り口をね」
「…何者だ、あんた」
ディーラーの口調が一変する。
「何者ですって?」
椅子から立ち上がり、は口端だけで笑う。カツンと軽い音をたてて踵と踵がぶつかり合う。
ぼふっぼふっ!
白い煙がテーブルの下から現れ、辺りの視界を奪っていく。
椅子が倒れる音。テーブルにぶつかっている音。さっきまで熱中していた男達の声がどんどん遠ざかり、開けられた入り口へ向かって白煙も逃げていく。
「これで残ったのは関係者だけね?」
「何者だといっている!」
へ掴みかかった男の身体が宙に舞い、背中から受身をとる間もなく、地面へ叩きつけられる。アワをふいて白目をむき、男はだらしなく両腕を下げ身体を痙攣させながらひっくり返る。
「此処に居る貴方達に尋ねるわ。…地下への入り口は何処にあるのかしら?」
戦闘意識など元々持ち合わせていなかったのだろうディーラーの一人が震える指でVIPルームと書かれたドアを指し示した。
「そう、有難う。…言っておくけど、貴方達のボスに連絡なんてしてごらんなさい。……ボスを殺した後で地獄の果てまで追いかけてでも、貴方達を殺してあげるわ」
振り返ったその瞳に赤い照明が当たり、妖艶な目つきになる。
VIPルームのドアの中に部屋などなく、階段が広がっていた。鞄から武器を出し、ドレスの下につけたガードルや、腰回りに武器を隠す。は一歩一歩丁寧に地下へと降りていく。
遠くにぼんやりとした明かりが目に入る。
すぐにでも明かりのところへ飛んでいきたいが、そこが檻だという確信はない。突然、石壁の動く音がした。
(な!?)
倉庫に使っているのだろう横穴に飛び込み、は息を殺した。
「赤毛のをここに連れてくればいいんだったな」
「あぁ」
足の数は四本。暫く見ていたがそれ以上足は増えない。静かにナイフを取り出すとは横穴を飛び出し、ナイフを投げた。首の真後ろに刺さり、右側に居た男は声も立てずに倒れた。
「おい?」
不審に思ったのだろう、もう一人の男がしゃがみこんだところにがナイフを首筋へそっとあてる。
「大声を出すんじゃないよ。出そうと声帯が動いたその瞬間、あんたの命がなくなってもいいのなら別だけど」
くす、と微笑をこぼす。綺麗に研がれたナイフの切っ先は僅かに力をこめただけでたやすく首の皮一枚残して切り落とす、斧のようにも見えた。
「イエスなら右手を。ノーなら左手を上げて頂戴」
その言葉に右手を上げる。
「さっき赤毛といっていたわね。神羅の関係者かしら?」
すっと右手が上げられた。
「案内しなさい。……すぐに」
立ち上がり男はまっすぐ明かりの方へ向かって歩き出した。
「変な動きをしようと思わない事ね。このドレス気に入ってるから血で汚したくないのよ、まだ」
黙って右手が挙げられた。
檻に鍵は掛かっていなかった。ナイフの切っ先はまだ首に宛がわれたままでは男の鳩尾に肘鉄を食らわせた。声も立てずに男はその場に沈む。
カツンカツンとヒールの音が響く。一つにだけ灯りが灯されており、その近くのデスクには丁寧に電磁ロッドが置いてあった。少し力をこめるとギイと音と共にドアが開く。
「…レノ」
「」
「本物のレノ?」
「こんな男前が他に居てたまるか、と」
「本物みたいね」
さっきまで男の首に当てていたナイフがレノを拘束していた鎖を断ち切る。持っていた電磁ロッドを軽々しく投げるとレノは縛られていた手首や足首を軽く撫で、の頭を撫でた。
「助かったぞ、と」
「…私、今怒っているのよ。判る?」
「俺が捕まったからか、と」
「違うわ。……貴方が傷つけられているからよ」
「こんな傷、名誉の負傷だろ、と」
「冗談じゃないわ。…どんな理由があろうと、私は私のものを傷つけられるのが一番腹立つのよ」
(こりゃあ、マジギレだな、と)
普段温厚なだが一度キレると誰も手がつけられないトランス状態になる。普通の状態と若干口調が変わるからすぐに判るが、今回はそのトランスの御陰で助かったといえるだろう。可哀想なのはこれからこの状態のと戦わなくてはいけない人々の方だ。
「のものって俺がか、と」
「他に居る?前、言ったわよね、レノ。俺はの事が好きだって。あの時、答えをはぐらかしたけど…今なら言えるわ。私も貴方が好きよ、レノ」
名前を告げようとした瞬間。の背後に影が映る。
「そこまでよ、お嬢さん。そこの赤毛の坊やを置いて帰って頂戴な」
「死んでも嫌よ」
「ならお死になさい」
すぅっと女の右腕が動く。わっと男共が沸き、の回りを取り囲む。痛む身体を無理に動かし、レノはの身体を自分の後ろへやろうとした。しかし、は妖艶な笑みを湛えながらするするとドレスの裾を捲くっていく。
それが何を意味するのか、判ったときには周囲の男達は声もなく地面へキスするように沈んでいた。
「こんなところに何も持たずに来ると思って?…甘くってよ、おばさん」
ショットガンを持ち、勝ち誇った顔でレノの前に立つを睨みつける。
レノがタークスの中で一番のスピードを。
ルードがタークスの中で一番のパワーを持つのなら。
彼女はタークスの中で一番の暗殺術を持つ、別名・死神。
彼女に死のターゲットとして選ばれたら最期、例え地獄の果てまで逃げれたとしても彼女の鎌からは逃げられない。…タークス以外、タークスとしてのと向き合った者で生きて帰った者は決していない。百戦錬磨のタークス。
「これからの神羅の情報とレノの生命を引き換える?…安い条件だったわね!」
持っていたショットガンをレノへ放り投げる。英字でと書いてあるそのショットガンを大事に抱えるとレノは一歩後ろへ下がる。
女との距離を縮めながら、ガーターに取り付けた何の装飾のついていない小型のダガーを鞘から抜き、女へと突っ込んだ。
「一直線で来るとは……お馬鹿な子」
ぐっと女の腕がを掴んだ…
かのように
見えた。
たん。
軽やかな音と共にが女の肩に手を付き、背中へと回り込む。そしてそのままダガーが肩甲骨の間に深々と刺し込まれる。
「Duty completion」
ダガーの血を振って落とす後ろで女が目を見開いたまま、崩れ落ちた。
「レノ先輩!先輩!」
調査課に戻るとイリーナのきゃんきゃんとわめく声が出迎えてくれた。
(傷に響くぞ…と)
流石に心配してくれたようなので言えずにレノはその声が止む事を祈りながらの肩に捕まりながら椅子へ座り込む。
「御苦労だったな、レノ」
「これが俺の仕事だから、と」
「」
「ハイ」
ドレスのままのにツォンは声を掛ける。トランス状態からいつの間に戻ったのか、にこやかな表情ではツォンの前に立つ。
「副社長が今日の夜の護衛を頼みたいと言って来ているんだが、どうする?」
「そうですね。申し訳ないんですが、暫く予定が入っていますので、とお伝えください。それと…レノと一緒に数日有給をいただけたらな、と思っているのですが」
「許可しよう」
「有難うございます」
にっこりとが微笑む。
「さ、レノ。病院行って診て貰いましょ。そのあとはゆっくり私が治るまで看てあげるわ」
有無を言わさずレノを引っ張って調査課を出て行った姿をツォンを始め、ルード、イリーナが生暖かい目で見守った。
FIN