Love circumstances


「思うにだな、絶対飛は晩熟何かじゃないと思うんだぞ、と。ありゃ、修羅場を潜って来てるな、と」
既に恒例となっているの家での夕食に舌鼓を打ちながらレノはぽつりと呟く。
サラダボウルにサラダを乗せ、テーブルの上に置くとはエプロンを外し、自分も椅子に座る。
「相手がじゃ飛だって迂闊に手は出せないんじゃないのかな、と」
「アッシュ先輩の婚約者っていうのを未だに引きずってるんでしょうか」
サラダをとりわけ、レノに手渡す。
「…これは普段のお礼に飛にとデートさせてやるかな…、っと」
にやりとレノが意味ありげに笑った。


レノの携帯が震える。
明日、日曜日という事もあるのだろう。任務に出ている人は少なく、タークス本部ではとルードが居なかった。
珍しくデスクワークをこなしているレノがペン片手に携帯に出ると相手は飛だった。
「もしもし、レノです、と」
ツォンやヴェルドに神羅と全く関わりがない人と話をしているのがバレると面倒なので任務に出ている人を装ってレノは会話を続ける。
それも、ただ関わりがないだけならいいが、相手は下手すれば神羅を恨んでいる可能性の方がでかい。
『今日外に出る用事があったら俺様の店に寄ってもらいたいんだが』
「はいはい、かしこまりました、っと」
時計を見れば後十分程で昼休みになる。
取り立てて急ぎの任務もなさそうだし、と席を立つとレノはヴェルドの前に書類を片手に立ちふさがる。
「これ、書類です、と。それからちょっと今日早退させてもらっていーですか、と」
「?
ああ、構わないが」
「ありがとーございます、と」
と付き合うようになってからレノは遅刻がなくなった。
遅刻をされるくらいなら早退された方がマシという理由だけ。
キーを空中で振り回しながらレノはそそくさと神羅ビルを後にした。
飛に呼び出される時は大体つまらない用事が多い所為か、レノは普段車のところをバイクで移動するようにしている。
額につけたゴーグルを下げ、眼を保護すると一気に加速する。
バイクに乗るのは好きだった。
風を切る感覚も、生と死が隣り合っている感覚も、何もかも。
細い道を飛ばすと目的の店はすぐ目の前だった。
外観全部が黒ずくめのその店の裏手にバイクを停め、レノは手馴れた様子で店の中へ入る。
湿度を含んでいた空気が一掃され、冷ややかな空気がレノの身体に纏わりつく。
薄暗く、ショーケースだけが明るいその店には客が何人かいた。
飛がカウンター越しに宝石の説明をしている。
(……別人だよ、と)
普段レノに対する態度とは百八十度違うその態度。
別にその態度を望んでいる訳ではない。人には人それぞれの事情と、人によってとる態度が違うのは仕方ない事なのだから。
飛がレノに気付いたらしく、レノに視線を向ける。
「ああ、レノ君」
ンを選ぶ段階になったのだろう、説明をしていた客二人がカタログを見てきゃあきゃあと可愛い声をあげている。
(…レノ、君!?)
衝撃に眩暈がした。
「早かったんですね、レノ君。申し訳ないんですが、暫く店内で待っていてくれませんか?」
顔は笑っているが眼は全く笑っていないその飛の表情に何も言う事が出来ずに、こっくりと頷く。
ズボンのポケットにねじ込んだ携帯が震える。
見ればからの着信だった。
「もしもし?」
店内の隅に行ってからレノはその電話を取り上げる。
『レノさん、どうしたんですか?早退って』
「あーちょっとお呼ばれしちゃってな、と」
後ろがざわざわと五月蝿い。どうやら社員食堂に居るらしかった。
そういえば昼一緒に食べようとか言ってた気がするな、と思い出しながらレノはに対して悪い事をしたと心の中で謝る。
『それならいいんですが…』
「なぁ、。今度の日曜日の例の件なんだが、映画何てどうだろう、と」
『あ、いいですね!じゃあ、私、を誘っておきます!』
「おう。任せたぞ、と。それから……映画のチョイスも頼む」
『はい!任せてください!』
レノとが企んでいる事。そのものずばり、二人をデートさせる、という事。
の方はに任せておけば大丈夫だとして、問題は飛である。
ちらりと横目で見るとさっきの客二人はちょうど店を出るところだった。
見れば、何人か居た客はレノを残して全員帰っている。
「おぅ、今日はもうクローズにして帰っていいぞ。ご苦労さん」
表の黒服二人に声をかけると飛は店の入り口のシャッターをさっさと閉めた。
「大量に原石の買出しに行くから付き合え。流石に今回は店の用事だから謝礼くらいしてやるぜ、俺様が」
確かに普段レノが呼び出されてやらされる事といえば、店の掃除だのに書類を届けてくれだの、飛個人の用事が多かった。それが今回は店の用事だという。
しめた、とにやりとレノは笑う。
「だったら、明日、買い物に付き合ってくれよ、と」
「何で俺様が男と休みの日曜に出掛けなくちゃいけないんだ」
にたまにはプレゼントでもしてやろうと思ってな、と。に一緒に行ってくれと頼もうと思ったんだが、に誤解されたら困るし」
そこまで言ってレノは言葉を詰まらせる。
じろりと睨んでいる飛の表情に恐怖を感じる。任務で何度も命を落としかけているが、これほどまでに背筋が凍った事は未だかつてない。
慌てて次の言葉を捜す。
「そ、それにはその日と出かけるって言ってたからな、と。センスよさそうだし、謝礼に頼まれてくれよ、と」
「それが謝礼でいいのか」
「あぁ」
店の駐車場に停めてある車の助手席に飛は当然と言わんばかりに乗り込む。

「あ、
任務から戻って来たばかりなのか、暑そうにしているを見つけ、は声をかけた。
長い髪を一度解き、縛りなおそうとしていたの声に気付き、縛りなおすのをやめて近寄る。
「あら、どうかして?」
「明日、何か用事はある?もしなければ、一緒に出掛けません?」
根が真面目なだけに嘘を吐くのは非常に心苦しいものがあるが、も飛には何度かお世話になっている身。
「ええ、いいわよ」
ほっとが安堵の表情をする。
「観たい映画があって……」
「レノは?レノは放っておいていいのかしら?」
しまった、と思う。
「どうしても出掛ける用事があるって言われちゃったの」
「…ふぅん……まあ、いいわ。じゃあ、映画館の前で待ち合わせでよくて?」
「あ、うん」
「じゃあ、私、ちょっとヴェルド主任に任務の報告があるから、また明日。御機嫌よう、
が歩きながら髪を縛りなおす。
取り敢えず、第一関門は突破したようだ。
ほ、と小さな溜息をついてまだ飛の元で雑用を押し付けられているであろうレノに手早くメールを打つ。


当日の天気は雲一つない快晴だった。
と。
飛はレノと。
……待ち合わせをしていたはずなのに。
「…?どうしたんです?」
「あら、飛。
とね、映画を観る約束をしたのですけど…まだ来ないのよ」
いつもと殆ど変わらない服に身を包んだ飛がの服装を見て愕然とする。
肩を出し、胸まで大きく開いたワンピースに小さなハンドバック一つという姿で映画館の前で時計を気にしながら立っていた。
アッシュと一緒に居た頃はこういう格好が多かったな、と思い出しながら飛はの隣に立つ。
何度も時計を見るに飛は不思議そうな表情を向ける。
「もう映画、始まっちゃうのよ…」
二枚分のチケットを飛に見せる。
時計と照らし合わせ、上映時間まで後十分ほどなのに気付く。
「チケット代も勿体無いですし、私と一緒に観ますか?嬢には後でお金でお返しすればよいでしょうし」
「そうね……。でも飛はよろしいの?」
「この私を待たせるような愚弄は放っておけばいいんですよ」
物陰から見ていたレノがぐったりと疲れた顔をする。
勿論、もそこに居るわけで。
レノはタークスの制服の黒スーツとなんら変わらない格好だが、は淡い水色のワンピース。
二人が映画館へ入ったのを確認するとレノがチケット売り場で同じ映画のチケットを二枚買って一枚をへ手渡した。
「…ついでに俺達もデートだぞ、と」
「は、はい!」
真ん中の席に座り、パンフレットを眺めている二人が見える位置には席を二つ確保する。
レノがの手元にパンフレットを置き、ジュース二つとポップコーン二つを持っての隣の席にどかりと腰を下ろした。
周りを見れば殆どがカップルか女性同士の客でパンフレットを見つめているの横からパンフレットの中身を垣間見れば、成程。とレノは呟いた。
純愛映画などレノは殆ど観た事はなかったが、パンフレットを見つめているを見ているとたまには悪くない、と何故か思う。
程無くしてブザーが鳴り、場内が僅かな灯りを残して暗くなっていく。
上映時間、約二時間。
スクリーンに映し出される映画を一心不乱に見つめている客とスクリーンを交互に見ながら、レノはポップコーンを口の中へ放り込んでいく。
内容を掻い摘んで言えば、ヒロインが戦争に旅立つ恋人を待ち続け、戦争に行った恋人は違う場所で記憶を失くし生きている。しかし、ある街で恋人同士は再会し、愛を確かめ合うという内容だった。
(…下らん)
基本的にレノは恋愛に身を投じる方ではないし、もし、自分が帰ってこれないのであれば相手には違う相手と幸せになってもらいたいと思う。
が、女性客の殆どはラストシーンで涙している。
男女の感情の違いとはここまで違いを醸し出すのか、と妙にレノは感心した。
エンディングロールが流れる中、レノはを連れ出した。
このままだと帰る飛とと鉢合わせする恐れがある。
映画館を出て、物陰に隠れるように路地裏へと入る。
「……はー……」
「どうしたんだ、と」
「映画、よかったなぁ、って。最後二人とも逢えて……」
「あー…そうだな」
傍目から見たら怪しい二人組みなのは間違いない。
小声で辺りを憚るように会話を続ける。
「もし、俺が任務から帰ってこなかったらどうする?」
…馬鹿だと思う。
こんな質問、するつもりはなかった。
「きっと待ってると思います。レノさんが他の女性と一緒に居ても、きっと。でも本当は…寂しくて死んじゃうかも知れません」
「大丈夫、居なくなったりしないさ」
映画館の出入り口がざわざわとざわめき始めた。
大勢の中に飛との姿を見つける。
邪魔にならないところに立つとはどうやらを探しているらしかった。
「急な仕事でも入ったのかしら…」
本気で心配しているらしい表情に飛の表情も流石に心配している顔になる。
「携帯に電話してみたらどうでしょうか。もしかしたら、レノに捕まっているのかも知れませんよ?」
レノに、という単語に反応して一瞬躊躇したがバックから携帯を取り出し、なれた手つきで電話をかける。
何回かのコール音の後、留守電に繋がる女性の声。
「…ダメ、ね。具合でも悪くなったのかしら」
じっと不安そうに携帯を見つめているの頭を飛は軽く撫でる。
段々、の表情に翳りが顕れる。
そんな表情をしている時、何て声を掛けていいのか飛はいつも戸惑う。
……あの時も。
雨の中、アッシュが殺されたの。と言いに来たあの時でさえ、抱き締める事すら出来ずに……。
髪を拭き、涙を拭い、…………それ以上何かをしてあげる事すら躊躇した。

「何?」
「…捜しますか?嬢を」
……あの時と同じ気持ちにだけはさせたくない。
失わせたくない。
ようやく見せて貰える、貴方の笑顔を失ったりしたくない。
「…大丈夫よ、飛。心配してくれたのよね?有難う」
曲りなりにもタークスだもの、とは呟く。
「でしたら、どうしますか?家へお戻りになるのでしたらお送りしますが」
透き通るような飛の声は結構離れた場所に居るレノとにまで余裕で到達する。
(……だーっ!人が折角気を利かせてやったというのに!)
レノが地団駄を踏む。
「…そうね、じゃあちょっと付き合ってほしいところがあるの。いいかしら?」
「構いませんよ」
一定の距離を保ちながらレノとは後ろをつける。
腐ってもタークス。
同じタークスとはいえ、決して気取られる事なく目的地までくっついていく。
途中、花屋で大きな百合と薔薇の花束を購入し、入っていったのは墓地だった。
いくつもの十字架が地面から突き出しているこの場所の、一番奥にある一番派手な墓の前で二人は足を止める。
「…アッシュ」
ざ、と一陣の風が吹きぬける。
の家の墓の一番下のところに刻まれている、アッシュ=フレイビートの名前。
婚約で終わってしまった二人のために、が強行にこの墓の中へ入れる事を貫き通したらしかった。
本来なら、今頃は…。
「アッシュ、御免ね。いつも放っておいて」
仕事が忙しくて来れなかったの、とは呟く。
あの事件の後、何度ここへ足を運ぼうかと飛は思っていた。からこの場所は聞いていたから。
…アッシュに逢ってあげてほしいの。アッシュもきっと貴方に逢いたがっていると思うから。
「御免ね、アッシュ」
手と手を合わせては目を瞑る。
何度も、御免ね。を繰り返しながら。
…飛も、同じように手を合わせて墓前で祈る。

帰り道、言葉数も少なく、どこかへ寄る事もなく二人は家路についていた。
「今日は有難うね、飛。アッシュのお墓まで付き合わせちゃったりして」
「…いえ」
言葉もなく、時間だけが通り過ぎていく。

不意に呼び止められて、は飛の隣で立ち止まる。
が…アッシュを忘れる事は…ありますか?」
その問いかけにどう答えていいのか判らない、というようには空中で視線を迷わせる。
質問の真意は多分、はわかっている。
判っていて。
「……忘れる事はないと思うの。でも、でもね」
一瞬の辛そうな表情。
「…それをアッシュは望んでいないと思うから」
「私が貴方を好きだと…愛していると言ったら、貴方は…」
それ以上は言ったらいけない、というようには首を横に振る。
「……私の答えを今すぐ求めるのは無理よ、飛。でもね、貴方が居てくれて嬉しい時の方が今は沢山あるの」
「待つのは慣れてますから」
緩やかに笑う。
「帰りましょう、



翌日。
「昨日はごめんなさい、

「俺が映画館の前でを見つけて無理矢理デートに誘っちゃったんだぞ、と」
あの後、レノはに今回悪者は自分だけでいいから、と言い張った。
「無事でよかった…。……いいの、無事なら」
(…私の好きな人がこれ以上奪われていくのは…嫌…)
ぎゅ、とを抱き締める。
あんな想いはもうしたくない。
レノの携帯がデスクの上で震える。
「…も、もしもし」
『昨日は俺様との約束を反故するとはいい度胸だなぁ』
「そ、それにはちょっと理由があって…」
『言い訳無用。今日必ず俺様の店へ寄るように』
「了解、と」
携帯を折りたたむとまたデスクの上へ放り投げる。
この四人が同じ場所で結婚式を挙げる事になるのは、まだまだ先の話。

FIN